第2日目  11月30日(日) その1


 静かな1日のはじまり
3日間の戦利品
3日間の戦利品

 7時に起きて、7時半ごろビーチに下りた。
 昨夜は22時に就寝したから、9時間は寝たことになる。平日の私の平均睡眠時間は4〜5時間なので、「あーよく寝た」という感じ。本当は心身のために、毎日このくらい深くぐっすり眠れたらいいのだが・・・。

 昨日の夕方よりは潮が引いており、貝殻や珊瑚のかけらが落ちていたが、残念ながら目をひくようなものはなかった。
 今日も重い雲がかかっている。雲が風に流され、時々ぼんやりと陽がさすこともあるが、強風のため海がかなり荒れていた。
 池間島の北方には、日本一の珊瑚礁群である「八重干瀬(やびじ)」がある。そのため、私は池間島から出るグラスボート(船の底がガラスになっており、海の中の珊瑚礁や魚を見ることができる)に乗ることを楽しみにしていたのだが、この荒れ模様では運行しているのかどうかかなりあやしい。それに、もし運行していたとしても、絶対に船酔いするであろうことが予想できる。私はダイビングもシュノーケルもできないので、グラスボートが唯一の海をのぞく手段だったのだが、早々にあきらめざるをえなかった。
 朝食は8時半からなので、いったん部屋にもどってソファに座って少しの間ぼーっとしていた。

 今日の朝食は、胚芽パンのトーストサンド(卵、きゅうり、ハムもどき)と、ウィンナーもどき入りのマカロニサラダ、ヨーグルト、コーヒー。ベジタリアン料理なので、肉類は出ないのだが、この「もどき」なハムやらウィンナー、味も食感も本物そっくりなのである。偽物であることがわかって食べているので、妙に感動(?)した。
2日目の朝食

  食後、ダイニングの片隅の書棚から本を数冊借りてから部屋にもどった。
 このお天気だし、なにもせかせかと動き回る必要はない。せっかく休養のために連泊しているのだから、と部屋でゆっくりする。

 それにしてもとにかく静か。タクシーの運転手さんに「またなんでわざわざ池間に泊まるの? 町の中のほうが便利なのに」と言われたが、わざわざ町から離れた環境を選んだのは、静かさを求めてのことなので、「中学生以下の子供は宿泊できない」というラサ・コスミカの決まりが嬉しい。廊下やダイニングなどで子供がはしゃぎながら走り回っていたら、きっと落ち着かないと思うのだ。

 池間島について
 借りてきた本の1冊は、「沖縄の宇宙像:池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」という本。
 池間島に泊まることが決まった時点で、色々情報収集している時にこの本の存在を知ったのだが、残念ながら現在は在庫切れということで入手できなかったのだ。

 ガイドブック類で事前にわかっていたことは、宮古島と池間島は1,425mの池間大橋でつながっていること、島の周囲は約10キロの小さな島で、そこに数百名の人々が暮らしていること。それから島民の人たちは自らを「池間民族」と称し、独自の伝統・文化が息づく場所である・・・ということくらいだった。
「池間島はネノハンマティダの島と呼ばれ、天界を中心で支える柱を持った島、北極星までとどく神木を御嶽に持った島である。家で言えば中心の柱ナカバラの島であり、天界はこの柱に支えられ、そこは神々が昇り降りする道でもある。すなわち池間島は天界への入り口の島なのだ。」
  松居 友 著「沖縄の宇宙像:池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」(洋泉社、1999)
  ※ネノハンマティダ=北極星。シャマニズムの概念では、北極星は天界への抜け穴であるとされる。
 池間島は神様の宿る島だった。
 ああ、知らないで来ちゃったけど、すごいところに今いるんだなあと、本を読みながら思った。
 池間島は、私のような通りすがりの観光客には測り知れない、奥深い歴史と文化を持つ島だったのだ。
 多分、池間島を訪れる大半の観光客は、「まあ、海のきれいなところね」と島の1周道路を10分もかからずに周っておしまいになってしまうのだと思う。確か池間島には宿は2軒しかなかったので、宿泊する人の数は少ないと思うし、私のように1泊2泊した程度では、その表面をかすることすらできないのだろう。
ハイビスカス
街路樹のハイビスカス。目に朱赤があざやか。

それから、池間島は手つかずの自然が残された島でもある。
 客室に備え付けの案内には、季節折々の池間島の紹介がなされていた。
 春〜秋の風の強くない蒸し暑い晩には、ホタルが見られるそうだ。
 また、春〜初夏の大潮の干潮時(満月や新月の頃のお昼過ぎ)には、珊瑚礁群が海面上に姿を現し、数キロにわたって潮干狩りが楽しめる。
 そして、初夏の満月前後の晩にはオカガニの集団放卵がビーチで見られる。大規模な集団放卵が見られるのは日本では池間島だけとのことである。
 さらに島の中央部には、池間島湿原(広さ約38ha)があり、冬場には渡り鳥が飛来し、バードウォッチングも楽しめるとのこと。

 10時をすぎたところで、そんな池間島を少し歩いてみることにした。

 まずは池間大橋へ
 ガイドブックで見た池間大橋あたりの海の色が本当にきれいだったので、まずは橋に向かうことにした。
 10時がチェックアウトの時間だったこともあり、ちょうど2組の客が宿を出るところにいあわせた。私が玄関先で運動靴のひもを結んでいると、どちらからも「どこまで行くんですか? 乗っていきませんか?」と声をかけてくださった。強風のなか、人っ子ひとり歩いていない道を歩くのを気の毒に思ってくださったのだと思う。大変ありがたい申し出だったのだが、どこかへ行くというより、その辺を歩いてみる、というのが目的だったので、お礼を言って歩き始めた。
 私の体重は重たい方だが、そんな私でさえよろけるほどの強風で、ひとりで黙々と歩いている私は「ひょっとしておバカ?」という気にさえなったのだが、今更Uターンするのもなんなので、とりあえず橋までは行ってみることにする。
 
 橋の少し手前に「トゥイヤー」というビーチがある。道路からビーチへの入口を見つけたので、木の下をくぐってビーチへ出た。このビーチは割と幅広で、釣りをしている人が何人かいた。足元を見ると、アラシッス・ヒダ(宿の下のビーチ)よりもガラスのかけらや形のきれいな珊瑚が落ちているので、しばらくビーチ・コーミングをした。
ウハマから池間大橋をのぞむ
ウハマから池間大橋をのぞむ

 その後、道路へ戻って少し歩くと、橋のたもとの「橋詰広場」へ到着した。ここには数件の食堂と土産物店がある。ちょうど観光バスが到着したところで、大勢の観光客が特産品のカツオ製品などを群がるように買い込んで、あっという間に出発してしまった。

 橋の上から海をのぞきこむと、陽がさしていないので、この海本来の美しさを見ることはできなかったが、それでも何種類もの青が絶妙に混じりあった色をしていた。
 旅行前に計画していた今日の日程は、宿で自転車を借りて、海を眺めつつ橋を渡り、橋の向こうにある食堂でお昼ご飯・・・という感じだった。が、そんなのとんでもない!という状況。果敢に(?)数メーター進んでみるものの、橋の上は道路よりもさらに風が強い。この重い私が、よろけるどころか吹き飛びそうになるのだ。こんな状況では、命綱でもなければ1.5キロもの橋を渡りきれるわけがない。
目立つ看板
橋詰広場の土産物の1件「あだん」の看板。
マリリン・モンローの脇に「んみゃーち あだん」と書いてある。
「んみゃーち」は宮古方言で「いらっしゃい」の意味。



 そんなわけで橋を渡ることはあきらめ、広場の下のビーチ「ウハマ」に下りた。が、ここでは風向きの関係で、砂つぶてがバシバシ飛んできて、体中に当たって痛い! 慌てて広場に戻るが、この時点でまだ11時。食堂で昼食にするには早すぎる時間である。かといって、他に食堂はない。ここでなにか食料を仕入れておかないと、食いっぱぐれる可能性が大である。

 売店をのぞくと、サーターアンダギー(沖縄のドーナツ)があった。「かぼちゃてんぷら」と書かれたパックに8個も入っているが(サーターアンダギーとは「砂糖てんぷら」という意味らしい)、いかにも手作りっぽい雰囲気にひかれて購入(500円)。それから、シークワーサージュース(シークワーサーはかんきつ類。ヒラミレモンともいうらしい)も買って、ビニール袋をぶらぶらとぶら下げながら、今来た道を戻った。