スプリット(Split)

〜ディオクレティアヌス帝が引退後の居とした町〜
スプリット(クロアチア)


写真に写っているのは、南門の外の海岸通り。
写真の左部の石壁が城壁である。
現在では、1階部分は宝石店などの
ショッピング・アーケードとして利用されている。

スプリット(Sprit)は、
ダルマチア地方最大の都市で、人口は約18万人。
1日の日照時間は年間平均7時間で、
7月には12時間にもなる。

スプリットは、近郊のサロナで生まれた
ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245〜313年)が、
引退後の住居として建てた宮殿都市である。

295〜305年にかけて建てられたこの広大な宮殿は、
頑丈な城壁(高さ20m、厚さ2m)で囲まれており、
東西南北にそれぞれ銀、鉄、銅、金の門がある。

宮殿のテラスに面して、神殿や霊廟があったが、
皇帝の死後は、キリスト教徒によって完全に破壊され、
それぞれ洗礼堂や大聖堂として改築された。

これらの貴重なローマ遺跡が残る旧市街は、
1979年、世界遺産に指定された。

スプリット(クロアチア) スプリット(クロアチア)
宮殿の地下の大空間は、非常に保存状態がよく、内部を見学することができる。
かつてこの地下は「市民のゴミため」であり、この大空間はぎっしりとゴミがつまった
いわば「人々から忘れられた空間」だったため、破壊されることも手を加えられることもなく、
そのままの姿をとどめているのである。近年、発掘調査が開始され、ローマ時代の空間が甦った。

写真右は、ゴミがそのまま残っている部分。
ゴミとはいえ、自然に帰るものばかりなので(つまりトイレで出るゴミとか・・・)、ほとんど土状態。
この土を分析すると、当時の人々が何を食べていたか・・・等の貴重な研究材料となるのだとか。

写真左は、地下室で説明を受けているところ。
ガイドのアンテ氏は、身長190cmの青年で、まさに彫像等から思い浮かべる「ローマ兵士」のような容貌だった。
スプリット(クロアチア) スプリット(クロアチア)
地下室に置かれているディオクレティアヌス帝の像。
彼はキリスト教を迫害したため、
彼の石棺は、死後1ヶ月であばかれてしまう。
皇帝に対する人民の復讐である。
宮殿で今現在も残っているのは
大理石のコリント式の円柱16本に囲まれた
中庭のテラスなどわずかである。
現在、この中庭にはカフェが並び、
市民の憩いの場となっている。
ちょうど昨晩、ここでオペラ公演が行われたので、
その舞台装置がそのまま残っている。
スプリット(クロアチア) スプリット(クロアチア)
もともとはゼウス神殿であったが、
皇帝の死後、洗礼堂に改築された。
かつてゼウス像があったところに、
洗礼者聖ヨハネ像が置かれている。

外に置かれた黒花崗岩の
スフィンクス像(紀元前15世紀)も
皇帝の死後、人民に破壊され、頭部が失われている。
現在、城壁内には約3,000人の人々が暮らしている。
長い時を経て、宮殿の面影は
一部を残して失われてしまったが、
さまざまな時代の建物が調和しながら、
宮殿と一体となった町を形づくっている。
スプリット(クロアチア) スプリット(クロアチア)
北の門(黄金の門)の外にある
「ニンのグルグル司教像」。
クロアチアのロダンと呼ばれる
イヴァン・メシュトロビッチ作(1929年)。
この足元を触ると願い事がかなうとか。
海に面した南の門(銅の門)の外は、
レストランやカフェが並ぶ
気持ちのいい海岸通りになっている。



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