第3日目 12月1日(月) その2 | |
Sさんの心遣い | |
タクシーに戻ったところで、「これどうぞ」とさんぴん茶(ジャスミンティー)のペットボトルを渡された。「いやー、買っておいたんだけどね、あの人の分がなかったからさー」と。ちょうどのどが渇いてきたところだったので、ありがたく頂戴した。 昨日グラスボートに乗れなかったので、時間がゆるせば私も水中展望船に乗りたかったのだが、ちょっと時間が足りない。「私も魚見たかったんですけどねー」と言うと、Sさんは「よし、魚の見えるところに連れて行ってあげるよ」とドイツ村から少し行った海岸で車を止めた。 コンクリートの護岸の上では、1人の釣り人が釣糸をたれていた。 |
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「うーん、もっと潮が引いてれば魚がたくさん見れるんだけどねー」と海をのぞきこみながらSさんが指差す先には、それでも瑠璃色の小さい魚が群れているのが見えた。 Sさんが近くにいた釣り人に何か声をかけると(標準語じゃなかったので、全然わからなかった)、彼は釣りの餌をひとつまみ海に撒いてくれた。 目をこらして見ていると、色の目立つ瑠璃色の魚のほかに、しましまの魚だとか黄色い魚などが寄ってくるのも見えた。「見えます、見えます」とついはしゃいでしまった。 |
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農林15号 | |
車は東平安名崎に向かって走っていたのだが、「さとうきび食べたことある?」と聞かれ、「ないです」と答えたところ、「よし、それじゃうちの畑のを食べさせてあげよう」と今度は城辺町(ぐすくべちょう)にあるSさんの畑に向かった。 | |
さとうきびは生長するのに1年半かかるのだそうで、これからススキのような穂が出てもっと甘くなるそうだ。「ほれ、これがうちの『農林15号』さー」と、足を使ってバキッと1本折ると、半分に割いたかけらを渡してくれた。 前歯で茎の真ん中辺をがじがじかじると、さわやかな甘みが口の中に広がった。「宮古はハブがいないから、畑仕事してても安心さー」とSさんが笑う。沖縄と言えばハブを思い出すが、なぜか宮古にはハブがいないそうだ。連れてきても10日ほどで死んでしまうのだという。Sさんは「土が合わないんじゃないかね」と言っていた。 |
Sさんのうーじ畑と農林15号 |
南の島といえば水不足のイメージがあったので、「お水が足りなくなったりすることはないんですか」と聞いたら、宮古では特に水に困ったことはないのだそうだ。島自体が珊瑚礁で出来ており、降った水は全部地下にしみこんでいくので、それが海に流れ出す部分をせき止めて地下ダムにしているのだという。また、染み込む際に、珊瑚石灰岩をゆっくりとろ過されることで、ミネラル分たっぷりの水になるとのこと。そして、島に川がないので、海に土砂が流れ込まない。だから宮古の海は透明度が抜群なのだそうだ。 Sさんは他に玉ねぎやじゃがいもも作っているとのこと。植え付け前にミネラル分たっぷりの海水をまくことで、作物の味がよくなるそうなのだが、それを聞いて私は「海水撒いても枯れないんですか!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。 |
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そんな話をしているうちに、ムイガー断崖へ到着。ここは宮古島一番の断崖なのだそうだ。下を覗き込むと、なんだか吸い込まれそうな気分になった。 このあたりで、またもや空に黒い雲が広がってきた。風も強く吹きつけている。 お次は宮古島のほか世界中の貝が展示された「海宝館」へ。ここは入場料が500円かかる。さらっと一周して土産物店ものぞいたあと、次は東平安名崎(ひがしへんなざき)へ。 |
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宮古島で一番おいしいサーターアンダギー | |
東平安名崎は、宮古島の最東端に細長く延びた岬で、岬の西側が太平洋、東側が東シナ海になっている。 ここもまた絵はがきでよく使われる風景で、非常に楽しみにしていたのだが、空から雨粒がぽつぽつと落ちてくる。 岬の入口で、人力車が待機しており、ヒマそうなお兄さんが「どお、うちのベンツ」と声をかけてきたが、笑って手を振り通り過ぎた。 岬の先端の灯台を目指して歩いていたのだが、ちょっと歩いたところで急に雨足が強まってきた。慌てて少し先の屋根付休憩所にとびこむ。 |
東平安名崎。残念ながら岬の先端はかすんでいる。 |
すぐに雨があがったので、また灯台を目指して歩き始めたが、よろけるほどの強風に前に進まない。そしてまた雨が降ってきたので、「もうダメだー」と走って車に戻った。 こんなに早く戻ると思わなかったのか、Sさんは駐車場に出ていた屋台のおじさんとしゃべりながらアメリカンドックにかじりついていた。 トイレに行ってきます、と声をかけてトイレから出ると、すぐそばに車をつけて待っていてくれた。「もうちょっと見てたかったんですけどね、この雨と風じゃ」と残念がりながら言う私に、Sさんは「ここのオヤジのてんぷらが一番うまいんだよ」と、サーターアンダギーが2個入ったパックを手渡してくれた。紫芋と黒糖の2種類で100円。なにしろもうすっかりお昼時だったので、ありがたく頂戴して、ぺろりと2個食べてしまった。たしかにふわふわしっとりでおいしい。池間島で買ったものより油を吸っていないようで、それほど指がべとつかなかった。 |
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トックリヤシ |
最後に空港に程近い平良市(ひららし)熱帯植物園へ。広い敷地内に亜熱帯や熱帯の植物が植えられている。 あまり奥まではいかずに、さらっと手前のあたりをまわっただけだが、ハイビスカスの間を飛び交うアゲハチョウやクロアゲハの数の多さにびっくりした。 東京のうちのほうでは、アゲハチョウなんて見かけることはない。時々モンシロチョウが飛んでいるだけでも感動するくらいなのだ。 |
そして空港に到着したのが、予定よりもちょっと早い13時半。Sさんには本当によくしてもらったので、料金に気持ちだけでも上乗せしたいと思って、11,000円を渡したのだが、なんだかものすごく恐縮されてしまった。 |
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宮古島のお土産 | |
まずチケットの発券とチェックインを済ませ、重い荷物をロッカー(300円)に預けると2階へ上がった。1時間ほど前にサーターアンダギーを食べたのでお腹は空いていなかったのだが、宮古島では一度も郷土料理っぽいものを口にしていなかったので、「よし、最後に宮古そばだ!」と「すなかぎ」というお店に入った。ここはタウンガイド誌「んみゃーち宮古島」に5パーセント割引券がついていたので選んだのだが、那覇空港で食べた沖縄そばよりつゆがあっさりしていた。 食べた後は、土産物店めぐり。会社用には宮古島銘菓「久松五勇士」を購入。これは親指程度の大きさのバームクーヘンのなかにクリームが詰まっているものなのだが、この名前の由来は史実にもとづいている。 明治38年にロシアのバルチック艦隊が宮古近海を進んでいるのが発見されたのだが、当時宮古島には電信施設がなかった。そのため、石垣島の通信局まで知らせるために久松地区の若い漁師が5名選ばれ、80哩の荒れた太平洋を小船を漕いで渡ったのだという。この彼らの功績をたたえ、久松漁港のそばの丘の上には「久松五勇士顕彰碑」が建てられているのだそうだ。 |
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この久松五勇士を購入した売店では、「よかったらどうぞ〜」と、菓子の製造元である富士製菓製パンのうずまきパンをサービスでくれた。(ちなみに、まるそうパンのものより小ぶりで、パンも固めだった・・・。甘いことにはかわりはないが・・・) それから、自宅用に宮古島の特産品をいくつか購入。そのひとつが、ミネラルの含有数が世界一であるとして2000年8月にギネスブックに登録された「雪塩」。さらさらのパウダー状の塩である。その他、黒糖やら海ぶどう(プチプチとした食感が独特な海草)、アーサのりなど。そんなに買う予定はなかったのだが、ついついあれもこれもと手を出しすぎてしまった。 |
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那覇空港でDFS | |
14時45分発の那覇行きの便は非常にすいていた。窓側を選んだので、窓に頭をくっつけて、雲の隙間から見える海を眺めているうちに那覇着。乗り継ぎカウンターで羽田行きのチケットを発券してもらったが、ほぼ満席で窓側は取れないとのことだった。塩などであまりにも荷物が重いので、ここから宅急便でメインのバッグを送ることにした。自分の乗る飛行機と一緒の便で荷物をはこび、その先は宅急便・・・という航空会社のサービスを使えば、全国どこからでも1,000円で荷物を送れるのだ。 行きの時ほど時間に余裕がないので、宅配便の手続きを済ますと、慌しくいったん外にでて、足りないおみやげを買い足し、再びセキュリティ・チェックをうけて出発ロビーに入る。そう、最後にDFSで口紅とパウダーを買わねば! しかし、沖縄とはいえ、免税店は免税店。成田と一緒で、中は香水の匂いがプンプンし、すましたお姉さん店員が立っている。外の土産物とは全然雰囲気が・・・。買うものは決まっているので、すばやく手に取り、レジにて支払い。個人輸入と同じ手続きになるのだそうで、手続き自体は店側でやってくれるのだが、搭乗便だけでなく住所などもしっかり登録されていた。 搭乗口に向かうと、そこには大量の高校生が! 「げっ、修学旅行か・・・」と一瞬うんざりする。埼玉県の高校だったようだが、皆楽しそうな顔でおみやげをたくさん抱えている。まず彼らが先に搭乗し、そののち一般客が搭乗した。 搭乗便は16時55分那覇発、19時5分羽田着の便だったのだが、18時半ごろ「揺れが予想されますのでベルトを着用下さい」というアナウンスの後、本当に結構ゆれた。 羽田に着いたのは19時5分。私は19時半発のバスに乗りたくて、到着前からイライラしていたのだが、到着口まで「バスで御案内」の遠い位置に飛行機が停まったこの時点で半分あきらめていた。到着ロビーに着いたのが19時20分。ひょっとしたらこれなら間に合うかも・・・とトイレに駆け込んだ後、小走りでバス乗場へ向かうとなんとかセーフ。安心したところで、宮古島とはギャップのありすぎる気温に気づいて、いきなり寒くなる。 バスのなかで覚書メモなどを書きながら「きっといつかまた行こう」と思った。 こんどはもっと穏やかな気候の時に。 再びきれいな海やあったかい人々に出会うために。 |
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